県内ニュース亡き師匠に背を押され…古里に料理店 出身地・最上で協力隊活動の松田さん、決意の渡仏
2018年06月23日 15:55
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亡き師匠の言葉に背中を押され、フランスに渡る松田清也さん=最上町・旧満沢小
松田さんは、関東で管理栄養士として働くうちに「その土地でとれたものを食べれば健康でいられる」と考えるようになり、昔ながらの食文化が残る最上町に2015年Uターンした。協力隊員として、旧満沢小校舎を活用したレストラン「たらふく工房満沢」の開店に協力したほか、イベント会場などで菓子とコーヒーを提供し、郷土料理普及にも取り組んできた。 そんな中、16年12月に訪れた宮城県涌谷町のフランス料理店で庄子正弘シェフと出会った。「味や盛り付け、すべてに衝撃を受けた」。野菜は無農薬の契約栽培で化学調味料は使わない。これまで追い求めてきた“食べる人のことを考えた料理”そのものだった。 「とにかく庄子さんの味を作りたかった」。弟子入りを申し出ると庄子さんは「いいですよ」とひと言。それからは月3回ほど店に通って腕を磨いた。食への考え方が同じだった2人。庄子さんが松田さんの活動を手伝う機会もあった。協力隊の任期終了が近づき、「一緒に店をやろう」と店舗探しも始めていた。 その矢先、庄子さんが体調を崩し今年1月1日に入院した。検査の結果、末期の胃がんだった。症状はあっという間に進み、同月25日、67歳で亡くなった。 突然の別れにぼうぜんとなったが、庄子さんが病床で声を絞り出した「フランスに行ってこい」という言葉が胸に刺さっていた。「神様からの喝なのかもしれない。運命なんだ」と、2月に渡仏を決意し、出国の準備を進めてきた。 フランスでは、最上町協力隊の仲間で3月に結婚した妻唯さん(25)と修業先を探し、5年ほど滞在する計画だ。古里で開店を目指す自分の店は「ジビエ(野生鳥獣肉)」「川魚」をテーマに、最上の食文化を表現したいと思っている。 「庄子さんなくして今の自分はない」と松田さん。郷土食の魅力を教えてくれた町の人に恩返ししたい気持ちも強い。「地元に喜んでもらえる店にしたい。多くの技術を吸収して戻ってきます」と決意を語った。
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